はじめまして。株式会社彩園の代表取締役・木下博秋です。この度は、彩園のホームページにお越しいただき、誠にありがとうございます。
夫婦で始めた木下園芸は、月日を経て、「彩園」として新しい一歩を踏み出しました。しかし、大切なものは変わらず彩園のコンセプトとしてそのまま引き継いでいます。たくさんの仕事をして、多くの人々と出逢い、そのなかで長年かけて培ってきたもの……長年かけて気づいたもの……。
これは、熟練の職人をはじめ、見習いの若い子たちに至るまで徹底していることです。庭のスタイルは時代とともに変化していますが、多様性が求められる現代においても、この想いは社是として変わらず生き続けています。
これからも技術や感性を研鑽し、お客様に喜んでいただける本物の仕事をしていきたいと思います。
庭の完成後しばらくして伺うと、どなたも満面の笑みで出迎えてくださいます。予想が良い意味で裏切られたことがうれしくて仕方ないという風に。
ただその笑顔を見たいがために、日々、頭と体に汗をかき、スタッフ一同「フーフー」言いながら力を合わせて仕事にあたっています。そして、それが報われた瞬間が私たちにとって無上の喜びとなるときなのです。
わずか1m2の土地でも1,000m2の場所でも、お客様が庭に込める想いに変わりはなく、その時々の想いを受け止めて、そのとき持てる渾身の力を注いで仕事に取り組んできました。
これまでたくさんの方々と出逢うことができ、その数だけさまざまな経験を重ねてきました。試行錯誤を積み重ねた歳月が今、血肉となり、私たちのかけがえのない財産となっています。
あるお客様は、1本の木を決めるのに何度も圃場に足を運ばれました。建物に調和する樹木のイメージがいろいろと頭のなかで交錯したのでしょう。想いの深さを感じ、私たちは待ちました。私たちにとってはたくさんの木のなかの1本に過ぎなくても、その方にとっては唯一無二の1本なのです。
散々付き合わせたけど、よかったよ――そのお客様は満足げに話されました。
今よりずっと若い頃、ある窯元の庭を作ったときのことです。山里にある柿木に囲まれた庵。
そこに向かうアプローチに山石で張石をしました。手間を惜しまず合羽をきっちり合わせ快心の出来だと自負していたところ、まさかのダメ出し……。お客様曰く「きれい過ぎる」「美しくない」……疲労感だけが残りました。
今なら分かるその意味が当時は理解できませんでした。面を合わせることに意識を向け過ぎて自然素材の持つ味わい深さを消してしまい、周囲の景観から浮き上がったものになっていたのです。
その後、仕事をしていくうえでいつもその言葉が甦り「美しさとはどういうことか」を深く考えるきっかけになりました。大切なことを教えていただいた貴重な体験でした。
これまで、カエデや山ボウシをはじめ、たくさんの種類の雑木を使って庭を作ってきました。特に山で育った木々はどれも得も言われぬ姿で見飽きることがなく、それらを手放すときはいつも切ない気持ちになります。
自然が作った芸術品は、新たな地でもあっという間にそこを悠久のときが流れるような美しい風景に変えてくれます。森からもらった珠玉の木々を適材適所に大切に使い、より輝き続けてほしいと願わずにいられません。
また、その足元を彩る潅木や下草は季節が巡るごとに可憐な花を咲かせ、命の息吹を教えてくれます。森の恵みを少しだけいただいて、命の力強さと楽しさに満ちた庭。暮らしのなかにあって、なくてはならないもの。
こんなさりげない空間を、これからも作っていけたらと思います。
森や里山の雑木林では、斜面や日陰などの恵まれない環境のなか生存をかけて植物や樹木がたくましく生きています。
わずかな光を求めて幹を上へ上へと伸ばすもの、足元をしっかり踏ん張り渓谷に長いアーチをかけるもの。自然が作った景観美には、ただただ驚くばかりです。
そんな自然の雑木林は、あるがままに美しく、美しさは進化し続ける。雨が多くて、四季があって、水辺があって、潤いに満ちた自然が身近にある。日本という国は、なんと恵まれているのでしょう。
大型団地や公園を作る場合。山を切り開いて造成を行うときに、30トン以上の大型ブルドーザーが敷地全体を締め固めます。その結果、コンクリートのような強固な地盤ができ上がります。
しかし、強固に締めつけた水はけの悪い土台では、樹木の華奢な根っこが一人前に根を張って健やかに成育していくことは到底無理なことです。美しい樹形、鮮やかな新緑や美しい花、燃えるような紅葉、どれも叶わぬものに……。
とはいえ、家の基礎のために磐石な土台を作るのは土木屋さんの大事な使命。ならば、その後の庭作りにおいて樹木のために土壌改良するのは、私たち庭屋の当然の使命と言えるはずです。
見えない部分かもしれませんが、私たちは「土作り」の手間と苦労を惜しみません。